もしもマリー・アントワネットがインフルエンサーだったら?
「インフルエンサー? なんだ、それ? 冬とかに流行る、ウイルス性のあれか?」
それはインフルエンザですよ、お父さん。「ザ」ではなく「サー」。
とはいえ、最近出てきた言葉なので知らなくても無理はない。そもそもインフルエンサーとは、どういう存在なのか。ソーシャルメディアなどインターネット上メディアで大きな影響力を持ち、文字通り、消費者の購買に影響を与える人と覚えておくといいだろう。
インフルエンサーが活躍するのは、インスタグラムやフェイスブックといったSNS上だ。たとえばそこで、インフルエンサーが注目している商品を紹介したとする。するとインフルエンサーのフォロワー(要するに、ファンのような存在)が、その商品に注目し、自分もインフルエンサーにならって購入するというケースが後を絶たない。
タレントやファッションモデル、有識者とされる知識人、また一般人でも注目度の高いブロガーなど、SNSで発信した情報を見た人の多くが「この人の言ってること、参考にしてみよう」と思ったら、もう立派なインフルエンサーなのだ。
SNSが生まれたのはごく最近のことだが、もし昔にSNSが存在していたらどうなるのだろう? 歴史的に、今も強い影響力を持つ人がインフルエンサーだったら、世の中はどう動いていただろうか。たとえば、マリー・アントワネットを例に挙げて、妄想を膨らませてみよう。
マリー・アントワネットといえば、フランス国王・ルイ16世の王妃であり、フランス革命で処刑された悲劇の王妃として知られている。毎日のように劇場や舞踏会、賭博場で遊びまくり、朝帰りの連続。また貧困にあえいでいる民衆をほったらかしにして浪費三昧、税金で豪華な宝石や調度品などを買いまくる生活だ。
当時からまさに、わがまま言いたい放題の勘違いセレブの代名詞のようになっていた。そんなマリーがインフルエンサーになったら、SNS上で華やかな宮廷生活が紹介されていただろう。これを見た人々がどういうリアクションをするのか。
まずはマリーの支持者たちである王党派の面々。彼らはミラボーといった(立憲君主派にカテゴライズされる)開明派の一部をのぞきフランス革命時にはマリーを見捨ててサッサと逃げ出したため、いわゆる上っ面だけの付き合いだったと考えられる。「いいね!」を押したり「さすがはマリー様! 目の付け所が違う!」などと褒めちぎるものの、身内以外のマス層に影響を与えられていたようには思えない。
次にマリーの反対勢力である、議会派の面々や、平等主義、人民主権など人間性の自由を訴えていた啓蒙思想主義者。彼らは、マリーの投稿を格好の“燃料”と捉え「民衆をないがしろにして放蕩三昧とは何事か!」等間違いなくコメント欄に非難を書き込み、目論見通り大炎上していただろうと考えられる。
そんなマリー・アントワネットがインフルエンサーになったとしても、影響力はなかったのかもしれない。マス層を敵に回したマリーに共感を示す「味方」が現れたとは、考えづらいからだ。
フランス革命とは文字通りの“市民”革命であり、各派はパリ市民をはじめとする“民衆”へのアプローチに躍起になっていた。デムーランの『フランスとブラパンの革命』やエベールの『デュシエーヌ親父』といった「新聞」が民衆に大きな影響を与え、フランス革命の行方を決定づけたことも良く知られている。上記のマリー像はそういったメディアによって“作られた”イメージでもあるのだが、マリー本人にスキャンダルがあったのも事実である。そんな状況の中、もしSNSがあったら、フランス革命は数年早まっていただろう。
今活躍しているインフルエンサーは、フォロワーに共感されるからこそ、発信する情報が受け入れられている。インフルエンサーとは、まず人間的に魅力があり、そこから共感を引き出せる人たちのことなのかもしれない。

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